日本の偉人伝説

日本には、歴史上世界に誇れる偉人がいました。皆さんの知らない人、知っている人も再確認して、ご紹介したいと思います。

戦争終結間際に最も天皇の厚い信頼をうけた人物とは?

こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
 
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あなたは、鈴木貫太郎という人を知っていますか?

 
私のイメージとしては、小、中学の社会の教科書にでてくる写真を
 
見て、なんて、お疲れモード満載のヨボヨボ爺さんという感じでした。
 
調べてみて、なんてどんでもない失礼を言ったのか後悔しました。
 
 
逆に考えるとなんで、この極難な時期にこの人物が、何故選ばれたか
 
という事に興味がわきました。
 
実は、当時昭和天皇、皇太后の厚い信頼関係があったという事を
 
忘れてはいけません。
 
いまでも現役総理大臣として77歳の就任は、破られていません。
 
元々海軍軍人です。
 
日清・日露戦争でも活躍されています。
 
1923年(大正12年)海軍大将になり、1924年(大正13年)に
 
 
1929年(昭和4年)昭和天皇・皇太后の厚い信頼をうけ侍従長に就任
 
わかりやすく言うと宮中のお世話係のリーダーですね。
 
 
子供の頃からの強運の持ち主

 
暴走していた馬に蹴られる
 
魚釣りで、川におちる
 
海軍入隊後、航海中、海に落ちる事故
 
2度の暗殺未遂事件を経験し命拾いをする。


2度の暗殺未遂事件とは?


 
1936年 68歳の時に二・二六事件が起きます。
 
陸軍将校により左足、左胸、左頭部に被弾し倒れます。
 
その時の妻の気丈な態度が、凄いです。
 
陸軍の下士官の一人が「中隊長殿とどめを」
 
妻のたかは、大声で「お待ちください!」

「老人ですからとどめは、やめてください。」
 
「どうしてもというなら、私くしがいたします」と言ったといわれています。
 
 
もう一つは、戦争終結を覚悟した時、まだ、陸軍部隊は、本土決戦まで覚悟を
 
決めていて、鈴木の考えに納得できない若手将校は、暗殺を企てましたが、
 
運よく逃れる事ができました。
 
昭和天皇から、「この重大な時にあたって、もう他に人はいない。頼むから
 
どうか曲げて承知してもらいたい」と懇願されたとの事
 
鈴木は、老体にムチをうって77歳2か月で、第42代総理大臣に就任します。

 

 

 

鈴木貫太郎―鈴木貫太郎自伝 (人間の記録 (24))

鈴木貫太郎―鈴木貫太郎自伝 (人間の記録 (24))

 

 




鈴木貫太郎の死の直前の言葉
 
 
はっきりした声でくりかえし「永遠の平和・永遠の平和」といったそうです。
 
西郷隆盛のように情の深い大人物で日露戦争の頃は、普段は、温厚な人
 
しかし、いざ決戦となると鬼の貫太郎、鬼の艇長と呼ばれました。

本人は、軍人が政治に関与する事は、相応じない考えだったと
 
いわれています。
 
 
 
まとめ
 
戦争には、反対ですが、そのような状況においこまれた日本は、世界に
 
恥じるような事を本当にしたのでしょうか?
 
終戦後、世界の植民地だった国が、ドンドン独立していきます。
 
そんな中で、日本が、頑張ってくれたおかげで独立できたと感謝する国が、
 
たくさん現れてきました。
 
日本は、大東亜共栄圏をめざし、世界の人種差別政策に断固反対していました。

私としては、全面的に当時の意見に賛成ではありませんが、一部間違った
 
歴史観念に憤りを感じ、今だに賠償金を請求する国があるのは、非常に
 
残念な事だと思います。
 

真実の歴史を多くの人に伝える必要があると思います。