日本の偉人伝説

日本には、歴史上世界に誇れる偉人がいました。皆さんの知らない人、知っている人も再確認して、ご紹介したいと思います。

台湾で神になった日本兵(飛虎将軍)

こんにちは、健康と若さが、モットーのトンチーです。
 
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あなたは、日本の歴史に興味がある方ですね!
 
 
隣国の韓国、北朝鮮、中国の人は、日本に対して反日感情の人が
 
今だに多い感じがしませんか?
 
一方、台湾人は、日本に対してとても親日家が多い印象がありますね!
 
 
何故そういったイメージが、あるのでしょうか?
 
 
台湾は、かつて日本に支配されていた時代がありました。
 
日清戦争の結果、清朝から日本に割譲された1895年~1945年までの間
 
50年間統治していたのです。
 
当時3000万人いなかった人口も50年間の間に約6000万に近くに増加して
 
います。
 
裏を返せば、日本人の手で改良を加えながら、生活が裕福になっていったと
 
いう事実が隠されています。
 
教育もしかりです。それまで、子供に対して、ろくに教育をしていなった
 
現状がありましたが、日本人に手で、子供教育に力を入れました。
 
 
同じような境遇にありながら、韓国、北朝鮮、中国とは、日本に対して
 
あまりにも違う親日家が多いのが、不思議で、たまりませんでした。
 
 
では、今回の本題に入ります。
 
台湾で、命をはって貢献した日本人は、たくさんいます。
 
ですから、今だに台湾人が、日本人に対して感謝しているのです。
 
東北の震災とか困った事があれば、真っ先に暖かい援助とか寄付金が
 
集まるわけです。
 
私たちこそ台湾人に感謝しないといけませんね!
 
 

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飛虎将軍廟
 
飛虎将軍という言葉をあなたは、聞いたことがありますか?

 
 
台湾では、ある日本兵のために感謝をこめて神社を建立し今でも崇めている
 
のです。
 
しかもお祈りの時は、「君が代」「海ゆかば」の演奏を続けているのです。
 
その人物こそ、海軍兵曹長 杉浦茂峰なる人物です。
 
 
何故感謝されるようになったか?信仰されるきっかけ

 
その経緯についてお話します。
 
 
1944年第2次世界大戦の最中、杉浦兵隊もアメリカ軍との攻撃に勇敢に
 
闘っていましたが、当時のゼロ戦に乗っていた杉浦氏が、相手の攻撃を
 
受けて墜落する場面に直撃します。
 
自らの命と台湾人の命を天秤にかけてあえて地元の集落をさけて
 
人里離れた所まで行って脱出をはかり落下傘で、降下中にアメリカの
 
機銃掃射で銃撃されて、戦死しました。
 
その模様を見ていた地元の住民が証言しています。
 
弱冠20歳の杉浦兵が、集落のいる場で、脱出をはかれば、助かる命を
 
台湾の人々の命を最優先する勇気ある行動をとった事に対して、
 
今だに感謝されているのです。
 
 
 
墜落した当時、遺体の側にあった軍靴に杉浦の名前があったそうです。
 
その現場付近で、奇妙が現象が起こります。
 
 
白い帽子を被り、白い服装を身に付けた人物が、養殖池付近で徘徊して
 
いる様子を当時、地元の住民の夢枕に現れ人々が、恐れて信仰をはじめた
 
のが、きっかけだそうです。
 
現在、台南市安南区に飛虎将軍廟が日本軍人杉浦茂峰氏を神として
 
 
 
 
隠されていた事実
 
 
 
 
戦後、台湾は、蒋介石の時代で、この飛虎将軍廟は、密かにばれない
 
ように地元の人によって守られていました。
 
1988年、李登輝政権になってやっと公に公表されるようになったのです。
 
 
まとめ
 
 
 
台湾人が、今でも日本人に対して感謝しているのは、統治時代に
 
ダム建設によって、水不足を解消して、農業が、発展して、生活が、
 
安定して、経済的にも豊かになり、人口も増加、子供の教育にも
 
力を注いだ日本人が、いたからだと思います。